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NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
弁栄聖者は如来様を不識的精神態であるとされました。ということは如来様のご意志が意識的に働いて例えばバチを当てるとか、それを願わないものをもお救い下さることはないということになります。 「衆生が如来様を信念し奉ると、如来様はそれにお報い下さいまして衆生の心の中に感性能動的にお宿り下さいます。お宿り下さいますと、全一の不識体で在します如来様は衆生の意識の中、即ち個我意識の中に入り来られる。すると如来様は、私どもに意識される処の客体存在となって下さる訳です。私どもの意識と離れれば、如来様はあくまでも全一の不識体・無意識体です。そうであるから私どもが如来様を信念し奉る、だから信念に報いる、信念なければ報いず、とこういう風に弁栄聖者は御遺稿の中にお述べ下さっている訳でございます。」杉田善孝上人ご法話より 『光明』誌 H.28.5/6月号 如来様は理法に則って私どもをお救い下さるので、理法に則らない仕方で私どもが救われることはありません。それが如来の真相であることを弁栄聖者がお説き明かし下さっていることが了解出来ないと道を間違うということになる。弁栄聖者のお弟子の笹本戒浄上人が「それがopinionであってはいけません。」と仰った意味がここにあります。 如来様は不完全な信念に対しては不完全な三昧をお与えになる。お宿り下さる人格的御身が私どもをお育てくださり私どもを遂に円満なる仏と一直線にして下さる(力をお持ち下さる)かどうかは私どもの信念の如何によりますので...如来様は私どもの意識から独立した客体だというのは誤りであって、私どもの信念に左右される客体である。そこを弁栄聖者は主観的客体と仰った。ですので、起行の用心には余り関係なく安心の形式が正しければ一番いいように私どもをお導き下さるというのは根本的な誤解ということになる訳です。 杉田善孝上人ご法話 同誌29.2月号より大意 |
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