NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
大乗非仏説というのは「大乗仏教が拠り所とする大乗諸経典はお釈迦様がお説きになったものではない。故に仏説ではなく後代の創作である。」と言うもので今や学者の方々の経文研究におけるスタンダードとなっていると伺いました。しかしお釈迦様が直接お説きになったものでないというのは実はあまり重大なことではなく、弁栄聖者も「飲んで効く薬(成仏に益す)ならば何でもよい。自分も大乗非仏説と思う。」とまでおっしゃっておられます。だた大乗経典というのは概して《三昧定中》において説かれているというのは押さえておかなければならない重要なポイントです。彼の華厳教は華厳三昧定中の、法華経は法華三昧定中の、また浄土教の根本経典は弥陀三昧定中における事実がそのまま説かれている所があり、三昧によらなければ自証できないという性格を持っているのです。その事は現在あまり広く知られていないかも知れませんが、弁栄聖者や笹本戒浄上人様がご自身の三昧体験上の事実とお経に書かれている事が見事に符合すると細部にわたってご指摘下さっている事は注目されてしかるべきと存じます。 跡見学園創立者の跡見花蹊女史も光明主義のお念仏をなさった方です。弁栄聖者の指導を受けた方に「一切諸仏の根本仏は弥陀独りであらせられ、経文(般舟三昧経)に一切諸仏は弥陀三昧によって正覚を成ぜられた説かれてある。故にその方のお育てを頂かねばならない。」旨お聞きになり、いかにもそうだと思われた女史は戒浄上人様のお導きにより熱心にお念仏する身となられました。そして大正12年8月27日の朝方ついに尊く大きい(阿弥陀)如来様のご相好を拝まれ次のお歌をお詠みになりました。『いともいとも大いなるかな天地に みち足らひたる大みすがたの』 お歌の師匠であった佐々木信綱先生はこれは信仰の歌であるから手を入れないでおくとおっしゃられたことが伝わっております。女史はしっかりとした強い女性でいらっしゃいましたが、念仏されてからは和やかかつ円満になられ、教育にお念仏を取り入れられたと聞き及んでおります。弁栄聖者が制定された光明会の勤行式を「如来光明礼拝儀」と申しますが、書をよくされた花蹊女史最晩年の御筆によるそれ(礼拝儀)は美しくいかにも慈愛溢れるものでございます。 昨年(2008年)103歳の天寿を全うされた日本画家片岡球子は1975年の第60回院展に『面構(つらがまえ)』という題のシリーズ作品のうち「山崎弁栄上人と狛則承(こまののりつぐ)楽人」という副題がついている作品を出品しておられます。実は片岡球子は(弁栄聖者のお弟子の)笹本戒浄上人様に直接お念仏の指導を受けられた方です。戒浄上人全集に寄せられた「笹本戒浄上人様の思い出」という一文によりますと昭和8年春戒浄上人様に初めてお会いになったとき、御身体全体から美しい光が輝き出、その尊さに思わず合掌。かつ慈愛のこもった丁寧な物腰には頭をたれてお慕い申さずにはいられなかったと。そのお上人様が「弁栄聖者が私にこうお教え下さいましたから、私もしかとそう信じております」とかた時も弁栄聖者の面影をお忘れ遊ばさぬご様子で聖者のお話になると涙で胸がつまっておしまいになるのを拝すたびに尊く思われた由。聖者にはお目にかかっていらっしゃらないのですが、後年どうしても聖者を現代の聖者として書き残そうと決心した片岡球子は資料集めをし関係先の助力を得て作品を完成なさいました。テーマは、聖者が音楽を布教に広く取り入れ作曲された中に雅楽もあったことをヒントになさったそうで作品は薬師堂開眼供養の導師をつとめられたある日の聖者が火炎太鼓を背景にして狛則承楽人とともに屏風に描かれたものとなっています。片岡球子:面構シリーズのうち同作品は神奈川県立近代美術館所蔵。
九州は光明主義のお念仏の盛んな所ですが、筑前に出られた荒巻くめ女という方の事はご紹介しておきたいと存じます。この方は弁栄聖者とほぼ同時代を生きた方ですが、聖者の済度を頂かれた全国の多くの妙好人の中でも傑出しておられるものと思われます。日頃の朝夕の日課念仏から始め「憶いの珠」と聞かされたお数珠に仏を憶って一心にお念仏するうちしだいに熱が入っていったのですが、大正6年(65歳の時)聖者のご指導を受けられるようになってよりは弥陀千日詣りの大願をおこす等、念仏精進の思いがさらに昂じていったといいます。如来様憶いの念仏に明け暮れるくめ女は時に露地にゴザを敷き、時に木の根元に俵を敷いて一心不乱に念仏。ご近所で「近頃幽霊が出るそうだ」と噂になったその主が、未だ夜が明けきらぬうちから白い布を被って千日詣りするくめ女その人だったというエピソードも残っています。そうこうする中、いつしか念仏ばあさんとして有名になったくめ女は子供達にも親しまれ周囲の人々を導く傍ら、単身御手洗ケ滝の渓谷岩洞等へ度々参籠しての精進は度を増し、大正9年聖者のなくなられた後も人知れず心境を深めていったものと見えてその心境を偲ばせる多くのお歌とエピソードが遺されています。その純粋なひた向きさには何処となく徳本行者を思わせるものがありますが拙い字で「徳本上人おん歌よみのこと」として徳本行者のお歌の抜き書きも遺されているそうです。
聖者が深三昧(三身四智と言われる最も深い三昧)に入られた時、2500年の時を隔てたお釈迦様とご自身の間に唐の善導大師・法然上人様・(江戸末の念仏行者)徳本行者を三昧直観なさったと言います。この種の三昧においては時空の框を脱するので十方三世を当念に収める事が出来ると言うのですが、それぞれのご境涯は後世に断片的にしか伝わっておらずこれまで窺い知ることも難しかったのです。今、弁栄聖者がお遺し下さった膨大なご遺稿とそれを読み解く手がかりとなるお弟子の笹本戒浄上人様のご法話録によりその風光に接する事が出来るのは誠に有り難い事と存じます。中でも徳本行者のご伝記を拝見致しますとそのあまりにも壮絶なご修行の有り様に感動を覚えますが、その果てに三身四智と言われる最高度の仏眼を開いておられたのだと承っている私共には今に伝わっている徳本行者の様々なエピソードが決して荒唐無稽な作り話などではないとごく自然に受け取る事が出来るのです。徳本行者の読みやすいご伝記がございますのでご紹介して置きます。 改訂再版『徳本行者』著者:岡本鳳堂 発行者連絡先 〒644-0045和歌山県日高郡美浜町三尾382 |
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