NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
八正道というのはお釈迦様が最初に修行の方法としてお説き下さったということは比較的よく知られているようですが、これは実は七科三十七道品という形で原始仏典にある修行法の最後に見えるものです。弁栄聖者は特に終盤の4つのステップすなわち五根(ごこん)・五力(ごりき)・七覚支(ひちかくし)・八正道(はっしょうどう)をお取り上げになり、それぞれを小学生に対する修行法・中学生に対する修行法・大学生に対する修行法・学校を卒業した者に対する修行法だとおっしゃいました。笹本戒浄上人様は仏道の本義からして禅定すなわち三昧を含まない修行というものは仏法の修行ではないとしてそのそれぞれの段階に入っている「定(じょう」というのがすなわち三昧であること、また聖者がそれぞれの修行法をはっきり分けてお示し下さっている点を指摘しておられます。聖者はあるご婦人へのお便りの中で「十二光によりて如来の霊徳を密かに開くの命を奉ず。」と述べておられますが『光明主義』の名の由来でもあるその十二光の最後の3つすなわち難思光(なんしこう)・無称光(むしょうこう)・超日月光(ちょうにちがっこう)にそれぞれ五根五力・七覚支・八正道をあてはっきりとそれぞれの段階の修行法を分けて私共にお示し下さっていると。光明主義は念仏三昧修行法が極めて具体的かつ的確に示されているのもその特徴の一つと言ってよいと存じます。N.O.
笹本戒浄上人様は四大智慧に関するご法話の中で印象に残る次のようなエピソードを紹介しておられます。弁栄聖者は大正6年の7月から9月にかけて朝鮮半島へ渡ってご巡教なさいました。その折、京城にある学校で現地の人の教育にあたっていた松尾上人が一日聖者に講演を依頼して自ら通訳にあたられたのだそうです。その松尾上人から直接お聞きになったお話と言うのがこうです。松尾上人はお話を少しずつ区切って欲しいと頼んでおかれたにもかかわらず聖者はだらだらとお話になり容易に区切って下さらない。その為つい大切な所を訳し漏らしてしまうということが起こりました。すると話を再開なさるとき必ずその漏らした所を繰り返してお話になられた。初めのうちさほどにも思っていなかった松尾上人でしたが、講演の続きを始められるごとに必ず訳し漏れの箇所を補われることに気づき背に冷水を浴びる思いがしたとのことです。朝鮮語をご存じなかった聖者にこういう事がお出来になったのは松尾さんの念頭に浮かび来たり浮かび去る一切のものを直観しておいでになったからで、これは原始仏典パーラーヤナにあるお釈迦様のご内観の力と同様、人が心の中に思うことの一切を知ろしめす大円鏡智のお働きであると戒浄上人様はご指摘になっておられます。N.O.
私共は総回向の文といってお念仏の最後に「願わくはこの功徳を以てあまねく一切に施し、同じく菩提心をおこして安楽国に往生せん。」という風にお唱え致します。これは自分がお念仏して如来様から頂いた功徳を全ての人に振り向け全ての人と共に(如来様の御世嗣ぎになりたいという)菩提心を起こして如来様のお光明の中に生まれ変わらせて頂きたいという事だそうです。さて「亡くなった人に回向すれば、きっと届くのか。」との問いに対し笹本戒浄上人様は、「きっと届くけれども自作自受・他作他受が如来様の真理であるから回向を受けた人が他人の回向の功徳で成仏するのではなく、フトお話でも聞いてみようかという心がおこり信仰に入りお念仏するようになって如来様のお光明を受けやすくなるのだ。」とお答えになっておられます。「一心即一切心」であります故、私達はそれぞれ別々だと思っているけれども宇宙本体から申しますとただ一人。ですので一人の心は一切の心。一人が菩提心をおこせば同時に一切の人がおこすという理屈になります。では何故回向が必要なのかという点について、このようにお説き下さいました。私達は別人であるが一人であると聞いても珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)。無始以来の種々様々な原因によって極めて頑固に個々別々になりきっている為そのことに気づかない。それでこちらの心が向こうに通う為には心を込めて回向する必要がある。すると心の根底は一つですから通うようになり向こうも菩提心をおこすようになるのだと。五眼の一つ慧眼が開けた所を禅宗では大悟徹底と言いますがこの慧眼が開けないうちはその事実が分からない訳です。N.O.
中国の刑罰の一つに首かせというのがあったそうです。首かせをはめられると板の半面しか見えない状態になる。それで禅宗では板を担った野郎という意味の「担板漢」という言葉を使って、私達が物事の一面しか見えていないと言うのだそうです。これは笹本戒浄上人様の「回向(えこう)」についてのご法話に出て来るお話でございます。私達には一般には未だよく知られていないし開発しないと働かない認識機能が本来備わっており、仏教ではそれを(普通に働く認識機能を含めて)五眼)(ごげん)』と申しますが、その中の一つ「慧眼(えげん)」が開けるとその担板漢でなくなると言います。上人は「真如は自にもあらず、他にもあらず、而(しか)も自他の性を包ぬ。故に鎮(とこしな)えに自他に薫習す。」というある聖人のお言葉をお引きになり、この難しい所をなんとか説明して下さいました。私達は普段、銘々別々だと思って生きております。私がつねられると私は痛いけれど他の人は痛くない。私がご馳走を頂きますと私は美味しいけれど他の人は美味しくないという風に自他があることは分かり切ったことです。しかしそれがはまっていることさえ気づかない首かせが外れると私達は銘々別々であるけれども全体を尽くしてただ一人であると言う事が事実として認められる。私達はちっとも別人でない事が分かるとおしゃっておられます。この「自」という事が事実として分かりませんと「自作自受」の従って「回向」の意味も判然としない訳です。N.O.
今年(西暦2009年)は弁栄聖者生誕150年並びに没後90年にあたるという事で、各地で記念行事が催されたようですが、本(10月18)日、芝・増上寺内の道場において聖者90回忌追恩法要が行われました。お仏壇の前に置かれた聖者の遺影をとりまくように14人のお弟子方の遺影が飾られた厳粛な会場で導師をつとめられたのは増上寺塔中観智院の前ご住職土屋光道上人で、この方のお父様土屋観道上人という方はご晩年の聖者と何年か寝食を共にされた方だそうです。本堂脇の光摂殿では記念遺墨画展が催され百数十点の書画とともに聖者のお袈裟・米粒名号・ご遺髪なども展示され充分にご遺徳を偲ぶ事ができました。今回のこの大きなプロジェクトは「弁栄上人讃仰会」主催となっていて土屋観道上人が始められた真生同盟という会の方達と光明修養会というこれも聖者の光明主義のお念仏を標榜する会の方達が協力して進められたようです。導師上人は結びのご法話の中で宗教革命と大同団結という言葉をお使いになり聖者有縁の者達が心を一つにして聖者の教えをしっかりと守り伝えなければならないと話されましたが、このような機会は恐らく初めてだったのではないかと存じます。聖者のお遺し下さった教えの裾野の広さがあらためて示された思いでございました。N.O.
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