NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
先頃中国で発見されたという 円仁の名の刻まれた石版が(真贋を含めて)話題を呼んでいるようです。円仁(A.D.794~864)は下野の出で、3年前栃木県立博物館で大規模な「慈覚大師円仁とその名宝」展が催された際には、山寺の立石寺から特別に言わば里帰りしたお木頭や国宝『入唐求法巡礼記写本』etc.が展示されました。この巡礼記は当時の唐の貴重な資料としても評価の高いものですが、その求法への熱き情念に心動かされます。円仁は最後の遣唐使船で帰国の際、多くの仏具、漢籍とともに念仏(声明)を持ち帰り比叡山に伝えられたのですが、後年法然上人様が叡山の書庫で出会われる善導大師の観経疏もこのようにして海を渡ってきたことへ思いをはせました。
奈良の都で栄えた南都六宗といわれる鎮護国家を目的とした教学仏教の一つ華厳宗に平安末期、明恵上人(1173~1232)という高僧が出られます。この方には色々なエピソードがありますが、晩年京都栂尾高山寺に半ば隠棲して修行に励まれました。この明恵上人の有名な著作『摧邪輪(ざいじゃりん)』というのは誤った教えを砕くという意味だそうです。明恵上人はもともと法然上人様のことをたいそう尊敬しその人柄を慕っておられたのですが、上人様亡き後、遺された『選択本願念仏集』を読んで驚き、その時広まりつつあった専修念仏を弾劾せんとしてこの書をお書きになったとのこと。明恵上人には法然上人様のお説きになった念仏の教えが「菩提心」を否定するとんでもない教えと映ったものと思われます。明恵上人にしてみれば無理からぬことであったと思われますが、法然上人様の真精神を弁栄聖者を通じて承っている私どもには法然上人様の真意が決して菩提心の否定にあったのではないことが分かります。それは法然上人様は最晩年に最高位の仏眼(三身四智の仏眼)を開いておられたけれどもその境涯を明かすのが困難であったことを弁栄聖者が三昧直観なさっているからで、ここは光明主義にとっても大切なポイントです。因みに修行一途の明恵上人は釈尊を通じて天竺に憧れ、二度までもその地に渡ろうとして果たせませんでした。それから七百年後、同じく釈尊への強い憧れを抱いた弁栄聖者がインドへの仏跡参拝を果たされたことを思う時、何故か明恵上人のことが偲ばれます。
*菩提心:仏陀の境地を求めて仏道を行じようとする心のこと
「往生」は空間の移動ではなく状態の変化であると聖者はお示し下さいました。華厳経に人の心を巧みな絵描き師の画く様々な姿にたとえた一節があるそうですが、習慣的意志活動が作った業(ごう)が熟すことにより定まる心の世界を十種に分けた『一心十界』を聖者が絵にしたり頌を作ったりしておられます。地獄・餓鬼・畜生の三悪道 修羅・人間・天上の三善道 合わせて六の世界を六道といい「六道輪廻」と言うのはこの六の世界に生まれ変わり死に変わりする事を申します。その上に声聞・縁覚・菩薩・仏陀の四聖 があり死なない命を悟る事のできた生まれ変わり死に変わりしない世界があるとされます。
禅の方では大我即ち永遠の生命に目覚めることを「性(しょう)」を見るという意味で「見性(けんしょう)」と言います。座禅(特に臨済禅)はこの見性を目指すと伺っておりますが、お釈迦様から連綿と続く法灯を正しく受け継いでいる、つまり正式な印可を受けておいでになる指導者について修行しなければ極めて危険なのだそうです。岡田担雪(たんせつ1915~1994)という師家は安谷老師から印可を受け長らく在家の指導にあたられましたが、安谷老師は正信論争で有名な原田祖岳に印可を受けた方ですので原田老師からすれば孫弟子にあたる訳です。申し分のない程に正統な法灯を受け継いだ指導者として岡田先生は接心(座禅会)に心血を注がれ、結果として光明会と同じように在家において多くの見性者を出し育てられました。正信論争につきましては別の機会のお話と致しとう存じますが、「見性」と言われていることが定心つまりは心の眼の一種であるところの「慧眼」を開くことに相当することと合わせてその内容が曖昧に扱われたり軽んぜられたりすることがあるとすれば誠に残念に思えます。
「悟り」ということが世間で云々されるとき、私共には曖昧であるように感じられることが多いのです。笹本戒浄上人様はご法話の中で「悟りを開く」というのが一体どういう風になった所か、すなわち「悟り」とは一体どんなものかについてはご友人の原青民という方のお話をよくなさいましたのでご紹介致します。実は「悟り」といっても種々様々なお悟りがあり、中でも禅宗で『大悟徹底』という所を戒浄上人様は「知る主としての自己に目覚めそれがハッキリ自覚された所」として繰り返しお説き下さいました。原さんは浄土宗の学校をお出になったのですが、如来様の在すことも信じられなければお念仏することも出来ない無信仰でいらしたようです。それが肺病にかかり余命5年もないといわれた苦しみの中で聖者に出会われ一心にお念仏に励まれました。すると病気になってまさに5年目のある日、鎌倉の千手院でお念仏しながら、自分と自分を取り巻いている森羅万象の関係をじっと考えていたら、にわかに一切がなくなってしまった。透き通った明るみも、自分の身体も、畳も天井も無くなり無一物となってしまわれたのだそうです。しかし寝込んでしまったり夢を見たのではなくただハッキリ目覚めている。そう言う状態になったのだそうです。やがて平常の我に返った原さんはその晩そのまま寝てしまわれました。翌朝起きて庭先へ出てみると、今まで自分の外に見えていた一切が自分の中にあるのが変でたまらなかったのですが、直観の事実として一切が自分の心と感じられ、天地一杯の我がやがて平生の状態となった原さんにはこの大我としての自己が永遠に滅びるものでないことが分かり大宇宙が自己となったということです。
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