NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
「般若心経」はよく知られたお経ですが、ベースとなる『空観』というのは、言葉による説明が困難である為独特の表現になっており分かったような分からないような印象を与えます。学者や僧侶方は自由な解釈を試み分かりやすく説明して下さいますが、私どもには般若諸経典の位置が気になります。どういう訳か「金剛般若経」の中に五眼(仏教で言う五つの認識機能)すなわち肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼が如来は全てを備えているという形でさらっと出てきており、実は光明主義ではこの五眼という事をうるさく申します。三昧という心の統一状態において働く認識機能すなわち心の眼(まなこ)によってのみ見える世界がある訳で、(三昧によって)自然界を観る天眼を別として、普通は念仏三昧の場合法眼(法界の妙有を観る眼)から先に開け、次に慧眼(真空を観る眼)が開けこれが融合状態となって最後に仏眼が開ける。つまり差別現象の面を観る法眼と無差別平等の面を観る慧眼と仏の境涯を観る仏眼はそういう関係にあります。マントラの持つ呪術性はともかく、基礎となっている「空観」を支える認識能力(境涯)については取り合えずそういう事になろうかと思います。
臨済宗中興の祖 白隠禅師(1687~1768)は、五百年に一度出るか出ないかの法器とされていますが、そのご内証の深さについて私どもが承っております所を少しご紹介させて頂こうと存じます。禅浄一致というような事が言われますが、実は禅宗が当面の目的としている慧眼の真理認識には限界があり、真相の空の側面(如来様の本来無相無識の側面)を観るに留まるのです。事実「仏に姿なく、無相無色である。」と信じ見性成仏を目指して座禅に励んだ結果慧眼が開けて見性すると仏は本来無一物・無東西・無相無色という所を観ることが出来ます。所がその先さらに一心に修行をしていくと如来様の光に照らされて自然に法眼が開けお姿(妙色相好身)を拝む・・・つまり「慧眼極まれば法眼開く」というのがあまり知られておりません。「白隠禅師も自ずから法眼開け、晩年念仏に帰せられました。空を見ること極まれば法眼開く。法眼極まれば大慈悲の聖容を明瞭に見奉る。だから禅宗では慧眼だけ開けているのは未(いま)だしと言える。」「ただし禅宗では自然に法眼が開けて、如来様の妙色身を見奉る白隠禅師様のような例は極めて稀で宗教的天才を要し、ましてやさらに進んで仏眼を得る方は実に稀である。」と私どもは弁栄聖者の直弟子笹本戒浄上人様より承っております。聖者が念仏修行により法眼から入って慧眼が開け仏眼に至るまで信念の変更を必要としない道筋をお示し下さった事の意義もここにあります。如来様は本来無相無色に在すと同時に本来人格的お姿に在す。これが如来様の事実である事を聖者は三身四智の仏眼をもってお示しになられたのです。
今はあまり馴染みがないように思いますが、「観仏三昧」という修行法がさかんであった時代があるそうです。これは予め精神統一によって三昧心を養い、その三昧心想中に弥陀如来の相好の部分部分を順次描いていく方法によって最終的に弥陀如来のご相好全体を三昧定中に拝むものですが、その間如来様の御名を呼び奉りお慕い申すという事はありません。法然上人様は立教開宗にあたって念仏三昧が弥陀の本願であるとして(観仏三昧でなく)念仏三昧をお選びになっており、無論私共がお念仏申す時もこの念仏三昧を修する訳です。ところが宗祖法然上人は、ともすると「念仏三昧」が「観仏三昧」と混同されがちな時代状況のもとで繰り返し「観仏三昧」の否定に腐心された。この観点を欠きますと、法然上人様の真精神をお説き明かし下さった弁栄聖者の御教えの理解も不十分になる恐れがあり、注意が必要です。念仏が(時代に即応する為)図らずも口称名号に偏した800年の時を経て、弁栄聖者がお出ましになり、ご自身が三昧直観された法然上人様の真精神の何たるかを示して下さったというのが私どもの基本スタンスですが、聖者が、「証拠となるべき御法語を探したが見あたらず、御真意を吐露なさっておられる道詠に頼る他なく(説明には)本当に苦労した。」と述懐なさったように法然上人様の遺されたご法語は取り扱い方によっては聖者の御教えをも歪めかねません。「念仏を中正に戻すのです。」と寝かせた扇子をお立てになり、さらに「自分は元祖大師の真精神を顕す為に憶念念仏を説くのです。」ともおっしゃった聖者の御教えを、唐の善導大師から法然上人様を経て聖者へと言うお念仏の教えの流れの中でとらえてこそ光明主義の意義が明瞭になるものと存じます。
新約聖書(福音書)にイエス様の御遺体が葬られた墓から消えたという記事があり、合理的説明も試みられながら何れも想像の域を出ません。肉のお身体の「復活」という教義上の問題についてここでコメントする立場にはありませんが、この記述が思い起こされる話が笹本戒浄上人のご法話の中にありますのでご紹介させて頂きます。昭和9年8月31日&9月1日付け朝日新聞に東京帝大(現東大)医学部の死屍室における異変の記事が載りました。以前に起こった事件だと言うのですが、当時死屍室のアルコール槽で預かっていたある女性の遺体が、故あって夜通しの巡回見張り番をつけていたにも関わらず消えたのだそうです。警察も含め関係者一同大騒動の最中の朝方戻っているのが発見されたのですが・・・午後になって静岡から上京したご両親の話によると夜中の3時頃娘さん(当該女性)が庭先に現れ迎えに来て欲しいと頼んで帰っていったと。それがちょうど遺体が消えていた時(3時から6時)のことだった訳です。この類の話は他にも多数ありますが不思議でも錯覚でもましてや作り話でもなく、仏教ではこういう現象を「意」或いは「末那(マナ)識(第7識)」の働きであるとする旨はっきりとお示し下さった上で一定の時間存在するもやがてなくなり、不滅ではない。霊魂と誤解する人もいるが決して霊魂ではないと指摘しておられます。
越後柏崎の極楽寺は弁栄聖者が(大正9年伝道途上において)遷化されたお寺ですが、(当時の)ご住職の奥様は聖者と浅からぬご縁のあった方でした。この方が深い悩みに死ぬほど苦しみぬき聖者に(心の中で)救いを求めていらした所、ある夜中に聖者が枕元にお立ちになり「仏憶いの光明を、胸に仏を種とせよ」と7度繰り返されたという光明会では有名なエピソードがあります。不思議に思った奥様の問い合わせに高崎におられた聖者からは「大変危ないから早く行って助けてやれとの如来様のお指図によりあなたの胸の悩みを取る為に行った。夢でも妄想でもない。」とのお返事。適切なお導きにより念仏に励まれた奥様は済度に与ったそうですが、この時聖者は高崎から柏崎まで飛んで行かれた・・・というのなら天眼(自然界を観る三昧の眼)でも出来る。そうではなくて聖者はその御身を分かちて(同じ身体を)柏崎に現して奥様をご済度なさったと言うのです。これを分身利物と言い、仏眼・妙観察智のお力による旨私どもは承っております。 |
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