NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
[6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]
光明主義では人格完成・成仏に役立たず如来様の事実を正しく認識する事が出来ない三昧を全て不健全(病的)な雑念の三昧であるとしてこれを捨てます。お念仏の功徳は色々と説かれており、魔境など邪なる三昧は別として如来様の智慧のお光明に照らされて開ける三昧でさえ、如来様以外の極楽の荘厳でさえです。結構な極楽の瑠璃地を拝んだりしますとそれに心惹かれて、念弥陀三昧を忘れて念瑠璃地三昧になってしまいかねないのですが、瑠璃地は私たちの心を完全に霊化してお世嗣とするだけの功徳を持たない故に心を注ぐべき対象は大ミオヤのみである。それで(瑠璃地に心惹かれて瑠璃地三昧になってしまったりするのは)信念が不徹底という事になる。そこを弁栄聖者は「念瑠璃地三昧は念弥陀三昧ならず」「心を注ぐ対象は大ミオヤ(のみ)である。」とお述べになっておられる訳です。
「円成実性の体大法身と合一するためには必ず仏眼で三身即一の方針のご相好を見奉らなければならない。」との信念で見仏三昧の修行をしているとき、見仏修行が次第に高く深くなり体大法身と次第に広く合一するにつれて、弥陀三尊を拝する、極楽で諸仏菩薩にご説法をしておられる報身を拝する等の三昧に法眼、初歩の仏眼の境界で入ることがあります。法身の中心である絶対の報身とできるだけ早く合一する上から申しますと、いつも三身即一の報身の慈悲の聖容をお念じ申す一点張りの見仏に全力を注ぐのが一番いいのであります。法眼や開・示・悟の位の仏眼で弥陀三尊を拝する、極楽でご説法をしておられる如来様を拝する等は回り道であります。その事実に少しも気づかないばかりか、より高く深い三昧だと思い喜ぶ。これは修行者の心が〈体大法身を根本仏とする仏眼〉で合一した如来様の大我を自己の統一的主体・真実の自己としておるためであります。それで誤解が起こります。五根五力の修行の時から、法身の中心である絶対の方針の核心に私共の念仏の心が直結するように全力を注ぐことが念仏修行上最も大切であります。 笹本戒浄上人全集 下(181〜182)より
原始経典には諸行無常、諸法無我、涅槃寂静など無常の有相を滅して空無へ飛躍し形而上遥かな涅槃寂静の人となる事が説かれておりますが、霊界妙有の事は少しも説かれておりません。そこで涅槃寂静・無への飛躍こそ人生のしたがって念仏の目的であると信ずる人たちがおられます。ここまでなら念仏でも聖道門の修行でも到達可能なので、どの道を辿っても同じ所へ行き着くと言う人はその先を知りません。経に「三世諸仏は念弥陀三昧によって正覚を成ず」とあるのは念仏(三昧)によってしか到達出来ない領域がある事を意味しており、実際心霊界の形式的一面が部分的に悟れただけの「無への飛躍」の状態では絶対界に帰入したと言っても大宇宙の事は覚らぬ事だらけで、それが最終的理想の(成仏の)境涯でない事は経験すればすぐに気付くと言います。原始経典からさらに大乗仏典へと進み慧眼・法眼・仏眼の境涯が説かれるようになりましてもそこには限界があり、説き残された領域がありました。仏眼の境涯をその深まりで分類した開・示・悟・入の内「入」の境涯です。弁栄聖者が「入」の位へ証入して初めて・法華経・瑜伽論・摂大乗論・浄土三部経など大乗諸経典は皆その手前の「悟」の境涯を最高の拠り所としている事が明かされ、同時に釈尊の三昧の全容が明らかに示された訳です。 〈能見寿作 光明主義入門参照〉
大原談義に「人をして欣慕せしむる法門は暫く浅近に似たれども、自然(じねん)悟道の密意は極めてこれ深奥なり」とあるのは有名です。聖道門では、慕う心は六道輪廻の業をつくると言ってこれが浅い教えとされるのに対し、浄土門では慕う心を起こせとの法門こそ真に悟りが深く開ける教えであるとします。善導大師も観経疏に「釈尊が彼の如来の衣正二報荘厳の相を説いて人をして欣慕せしむ」と。弁栄聖者は繰り返し光明主義にとって重要なこのポイントを強調なさいました。

○ (物に体あれば中心あり、その中心を得れば全体を獲得す。)
 宇宙の中心、法身本体の中心本尊は報身の妙色相好身

○お慕い申す端正無比の慈悲の聖容に、万徳は顕われている
○光明主義の修行は、釈尊の認識的一切智に直結する無生法忍の位に到達出来る道。弁栄聖者ご体験の事実である。                                参照:光明誌S 56.8
弁栄聖者が12歳の時、ご生家の裏の杉林の上に弥陀三尊を拝まれたと言うのはご伝記「日本の光」にも記載があり有名なお話です。これに後日談があり、想見即ち想像で見奉ったのだとご自分でお分かりになったけれども、余りにも有り難く是非ともまさしく生きた弥陀三尊にお目にかかりたいと一心にお念仏なさったと。ところがおよそ一ヶ月後には弥陀三尊を弥陀一尊になさったと言うのです。ここで12歳の聖者が弥陀三尊から弥陀一尊を身奉りたいと変更された事は、光明主義の道行きの上で非常に重要な事なのだそうです。不思議と雑念の三昧に入り込むことなく真っ直ぐ進まれた。この聖者のご変更は「従来の酬因感果の報身を念ずるのではなく、道の発見者でありながら、成仏の周辺道を進まないで(中心を得れば全体を獲得することができると言う)一番良い中心道の見仏の道を進んで自然法爾に、法身の中心である絶対自身の報身をお念じ申すようになる第一歩を示すものとして」特筆すべき事であり、光明主義を光明主義として成立させている光明主義の特質・本質に直接関わる事実である旨杉田善孝上人が強調しておられます。参照:光明誌(S63・1月号)


カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R