NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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以前(Blog No.34/2009/10/24)〈回向〉に関する笹本戒浄上人様のご法話に出て来る《担板漢》の喩えをご紹介しました。この時「五眼(仏教で言う認識機能)のうち〈平等性智〉が開ければ《担板漢》でなくなる」としましたが、これは禅で言う所であって、実は如来様の四大智慧のうちのこの〈平等性智〉に関するご法話の中で戒浄上人様はさらに踏み込んだお話をしておいでになりますので合わせてご紹介させて頂こうと存じます。〈平等性智〉が開けると禅で言う担板漢でなくなる訳ですが、さらに進むうちに何と《別の意味の担板漢》になると言うのです。それは少々難しいのですが、差別と平等の平等の面だけに気づいている〈覚明〉の状態。本来無一物本来無東西ただハッキリあるのみ。言わば弧明(こみょう)の状態である時代が座禅修行中、また念仏修行中にもあってそれも別の意味で《担板漢》であると。そしてそこからその弧明を失うことなく一切の差別を了々として認めるに到った所が真の意味での〈大悟徹底〉すなわち光明主義で申します〈中道〉と言うことになります。ここはどうしても外してはならない光明主義の重要なポイントであろうかと存じます。尚、光明主義の〈中道〉についてはblog23 2009/9/1でご紹介させて頂いております。

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