NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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伊予松山・月照山大林寺の先々代ご住職大島玄瑞上人は弁栄聖者の光明主義へのご理解深く、松山学生光明会etc.後身の指導にも尽力なさった方です。さて大正9年秋、聖者は知恩院の勢至堂において京都光明会主催のお別時を指導なさいました。大島上人はこの時布教活動をしておられた長野から京都へ向かわれたのです。結果的にこれがお目にかかる最後の機会となってしまったのですが、遠縁の者が玄瑞上人から親しく承ったと思われる内容を伝えた記事によりますと、いきなり聖者が「大島さん、信州の布教が無事にお済みなさいましたな。」とおっしゃったので度肝を抜かれたと言います。実はどうしてもこの機会をはずしたくないと思われた大島上人は、法話の時間をなんと一回あたり30分づづ縮めて予定では二十日間のところ十八日間で何とか布教を終わらせ、本山への報告もせず聖者のもとへ直行なさったとの事。それで恐らく開口一番「大島さん・・・」となった訳で、笹本戒浄上人の礼拝儀講話にも見えるこのエピソードにおける大島上人の驚愕をより生々しく伝えています。

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