NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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禅の方では大我即ち永遠の生命に目覚めることを「性(しょう)」を見るという意味で「見性(けんしょう)」と言います。座禅(特に臨済禅)はこの見性を目指すと伺っておりますが、お釈迦様から連綿と続く法灯を正しく受け継いでいる、つまり正式な印可を受けておいでになる指導者について修行しなければ極めて危険なのだそうです。岡田担雪(たんせつ1915~1994)という師家は安谷老師から印可を受け長らく在家の指導にあたられましたが、安谷老師は正信論争で有名な原田祖岳に印可を受けた方ですので原田老師からすれば孫弟子にあたる訳です。申し分のない程に正統な法灯を受け継いだ指導者として岡田先生は接心(座禅会)に心血を注がれ、結果として光明会と同じように在家において多くの見性者を出し育てられました。正信論争につきましては別の機会のお話と致しとう存じますが、「見性」と言われていることが定心つまりは心の眼の一種であるところの「慧眼」を開くことに相当することと合わせてその内容が曖昧に扱われたり軽んぜられたりすることがあるとすれば誠に残念に思えます。

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