NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
禅の方で「本来無一物」という事が言われますが、弁栄聖者がご自身の境涯についてある講演会(大正5年知恩院・雪香殿における高等講習会)でお話をされた記録が遺されております。それによりますと聖者はお若き折(23,4歳の頃)、東京で卍山律師の許へ華厳の五教章の講義を聞きに通われたのですが、同行された黒谷の大鹿法主が研究のおつもりであったのに対しご自分は実行の方面から進まれたと。ある日下宿先より通学の途中、野原を通っておるとにわかに世界が変わり野も路も山も小川も何も皆無くなり、天地一枚の境地となってただ歩いている下駄の音のみ聞こえていたが、ついにそれも無くなった。それから絶えず実感実証に進んで(現在に至り)今皆様の前に立っているけれども(三昧に入れば)5分程の間に向こうの障子も畳も天井板も皆見えなくなって、ここが天地一枚の境となる云々。どうか仏教を学ぶ方は実行方面よりお進みなさるがよろしかろうと冒頭に仰せになって講演が始まったとの事です。私共はさらに同じ天地一枚・無一物と言っても先のは慧眼によるもの、講演時すなわち晩年のそれは三身四智の仏眼の力による無一物である旨承っておりますが、24歳の時すでに華厳の法界観を成就しておられたのは驚くべきことと存じます。 ![]() ![]() |
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