NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
中井常次郎という方は、大正八年九月弁栄聖者に初めて会われたとき京都帝大工学部の講師をしておられました。初対面のとき「頭を垂れていた為お顔を拝むことは出来なかったが、襖を開けて部屋に入ってこられた聖者がお裙のすそさばきいとしとやかに我等の前にお座りになったのを見ただけで はや霊感に打たれた。」と述懐しておられます。その後授業の都合をやりくりしながら可能な限り聖者のお別時に参加されました。 聖者のご自坊であった当麻での授戒会(聖者の授戒会はお別時と同じ内容)に参加されたとき、京都へ帰る間際「中井さん 今あなたは当麻で死にます。あすは京都で生まれます。けれども自分には切れ目がありません。浄土に生まれるのもこれと同じです。三昧状態で、醒めて生まれます。」と仰って頂かれたそうです。そしてこの短いお言葉がその後中井先生を通して多くの人の信仰に生気を与え偉大な働きをしていると。分かり易く言えば、今日当麻では姿を消すけども明日は京都に姿を現す。生死はこのようなものだと言う例えです。「三昧に入り心眼をもって見れば肉眼では見えない浄土がみえる。信仰の人は心の眼が開け霊界に入り永生を得る。今より切れ目なしに極楽に生まれる。」(『山崎弁栄大悲のことば』求龍堂選書より)。
生死に切れ目がないと言うお話は伊予松山の大島玄瑞上人からも伺っております。
*聖者を見送られたあと先生は大正十二年に職を辞し 郷里の和歌山へ帰郷し南葵光明会を立ち上げ活動された。著書に弁栄聖者最晩年のご法話の筆記録を中心とした『乳房のひととせ上・下』があり前掲書はこれをもとにして編集された。 2024.10.23
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