NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
[207] [206] [205] [204] [203] [202] [201] [200] [199] [198] [197]
これは信じるほかないと言うのが、弁栄聖者がご自身の三昧体験に基づいて(即ち経典から演繹的にでなく)帰納的に説いておられると言う点です。釈尊が「三身即一本有無作の報身と円かに合一して、認識的一切智によって目覚めているときにはいつも肉眼と同時に働いている仏眼によって報身の御姿を見奉っておられた。」と言うのも善導大師・法然上人も「(晩年に)三身四智の三昧を得て三身即一本有無作の目的論的報身と合一し、これと合一する見仏を最終の真精神としておられた。」と言うのも経典や記録にのこる著述や教説のどこを探しても見いだせないからです。そしてこれが、光明主義の原点でもあります。
 弁栄聖者はお弟子の笹本戒浄上人に「大宗教家は衆生済度を第一とするので、ご説法が必ずしも真精神ではない。それ故必ず大宗教家が得ておられた深三昧の内容とその真精神を如実に三昧直観してそれがご説法を一致しているか否かを正しく認識しなければならない。」と教示なさいました。それで戒浄上人は「釈尊・善導大師・法然上人の真精神(真の境涯)を如実に三昧認識する実力のない千万人が何と言おうと、原始経典にどのように書いてあろうと、善導大師・法然上人がその著述や直説法でどの様に言っておられようと、如来様の真実を如実にお教え下さる弁栄上人のお教えが真精神に相違ありませんからそれを素直に信じて正しい念仏に共に精進したいものです。」「その実力のない千万人の言動に心迷わされて、唯一如来様の真実をお教え下さる弁栄上人の真精神を排することのない様に致したいものです。」と仰ったと伝わります。泉虎一「笹本戒浄上人のお教え」より


カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R