NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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 円照(1139~1177)は平治の乱で父信西入道に連座して配流の身となり21歳で出家します。当初は法華経を学びましたが、後に善導大師の勧める念仏に転じて精進し念仏現証の人として一族は仏のように崇敬していたと伝えられます。

 黒谷の地にて念仏の教えこそが凡夫を救う道であることを発見し、念仏に開顕した法然上人は、すでに独り念仏修行に徹していた若き遊蓮房に会いたいと比叡の山を下りたその足で広谷に向かいます。
 成仏が約束された往生への道が念仏一行であるならば、遊蓮房はその先達です。出会った二人は意気投合し、念仏中心の二年間をともに過ごしたと言われます。しかしながら生来病弱だった遊蓮房は明日をも知れぬ身なればと近くにあった別所に隠遁し、さらなる信仰の深みを目指しました。
 法然上人にとり遊蓮房との出会いの意味は自内証を得られたことであると言われています。かつて報恩蔵にて熟読された浄土の御教えによれば確かに私たち凡夫は救われていく。しかしそれを実際に体現された遊蓮房との出会い、そして共に念仏生活を送る中で実感されたであろうその念仏信仰の確かさこそが、法然上人の大きな力となりのちの活動を支え続けたと思われます。

「浄土の法門と遊蓮房とに会えるこそ、人界の生を受けたる思い出に侍(はべ)れ」即ち浄土の御教えと遊蓮房に出会えたことこそが、この世界で人の身を頂いた中で際立つ 

思い出であると法然上人はしばしば周囲に語られたそうです。
 年若きこの遊蓮房を法然上人は当初、師と仰いでいたと言われますが、やがて法然上人のお念仏の教えの真髄に触れた遊蓮房が法然上人を師と仰ぐようになりました。
遊蓮房は三十九歳で往生したと伝えられます。その際、命終に臨んで九遍まで念仏を称えた後、「もう一念」との法然上人の声に励まされ、高声に一念し往生を遂げたということです.



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