NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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初期の仏教において「念仏」はもともと「仏を念ずる」つまり「仏を憶念する」ことであったそうです。大乗仏教の時代になり念ずる「仏」が多様化しますが、浄土教典が中国へ伝えられ発展していく過程で「念仏」そのものも多様化し複雑な様相を呈します。日本へは「入唐求法巡礼行記」で知られる慈覚大師円仁が唐より持ち帰られたお念仏が、比叡山でお題目とともに行われることになり、そこから源信・法然・親鸞といった方々が出られるのですが、それに先んじて唐から入ってきた唯識の中にも念仏の項目があり一口に「念仏」といっても実は色々です。弁栄聖者は浄土門の念仏を三種に大別して下さいました。即ち分かり易く申し上げれば、聞け聞けといい、私達は弥陀の誓願によって既に救われていると聞いて了解(りょうげ)し感謝してお称えする真宗流の『感謝の念仏』・申せ申せと言い、極楽往生を願って南無阿弥陀仏とお称えする浄土宗鎮西流の『請求(しょうぐ)の念仏』・成れ成れといい念仏三昧の成就を期す光明主義の『三昧の念仏』の三種です。そして過去にも未来にも偏することなく初発心の時から成仏に到るまで信念の変更を必要としない光明主義のお念仏の極意を繰り返しお説き下さった訳ですが、聖者は「初歩の仏眼が開ければ一安心してよい。」と漏らされたという話も伝わっており、直接そのご指導を受けた方々の中に在家であっても実際に初歩の仏眼を開かれた方達がおられたというのは特筆すべき事と存じます。

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