NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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弁栄上人は二十一歳で浄土宗の僧侶となられて以来その僧籍をお持ちでしたので、五十歳を過ぎて《光明主義》として新しい法門を開かれたとき、所謂伝統的宗乗との関係が問題視される所となりました。ご自身で宗教革命という言葉を使っておられる位ですので異安心ではないかと見られた訳です。これに対し上人は「自分の主義は活きた法然上人の意思をつぎて・・・」と書簡にもあるとおり、善導大師・法然上人の真精神を説き明かすとの一貫した態度で臨まれました。大正五年六月、夏安居併修の知恩院における高等講習会でまとまったお話があり、「宗祖の皮髄」としてのちにまとめられたのがその講演の記録です。

 具体的には、先ず浄土門において従来西方浄土に在しまして諸仏の中の一仏とされてきた阿弥陀如来について阿弥陀仏は在さざるところなき諸仏を超越した存在であるとされました。光明主義が〈超在一神的汎神教〉たる所以です。これは従来汎神教であると見做されてきた仏教の理解に一石を投ずるものですが、上人は無量寿経の中の歎徳章に「無量寿仏威神光明最尊第一にして諸仏の光明及ぶ事能わず」とある一節を取り上げこれを以って「独尊の証」としておられます。それは、ご自身の三昧体験に符合するからですが、弁栄上人は「自分は経論によって演繹的に説くのではなく、自らの三昧体験から帰納的に説く」としておられ、ここではご自

身の内証から得られた事実に符合するところを経典の中に見出しておられるのです。ですから同じ様に南無阿

弥陀仏とお称えしておりましても、光明主義では従来のそれとは帰命する対象を異にします。

 次に法蔵菩薩が五刧に思惟を巡らして願を立て万行を積み その願を成就した結果、衆生が念仏により死後往生出来るとする経典に準拠した従来の所謂 酬因感果の説き方に対して、弁栄上人はこれが仏教の原則である「自作自受」の法則から外れた「他作自受」の構造になっている点を指摘してこれを法蔵菩薩の神話と言う風に表現された。そして衆生が直接帰依すべき本有無作の根本仏を念ずることによって三身四智の身となるつまりは成仏出来るとの立場から、極楽往生についても往生は空間の移動ではなく状態の変化であってそれは死後に限ったことではなく生きているうちから精神の更生つまり〈往生〉が出来るという風に説き直されました。

 更に法然上人様が口称念仏を強調された当時の時代背景、不安定な世情と観仏三昧が盛んで(混同を避ける必要性の)あった状況を踏まえ、従来の称名に傾いた形で伝承された鎮西流請求の念仏や真宗の感謝の念仏でなく、法然上人様も実践なさった『三昧の念仏』が必要である つまりは即今当念の念仏三昧を通して如来様にお会いする事が肝要であると《見仏》の重要性を明らかにしつつご自身の体験に基づき今に活きる念仏の仕方を説き明かされた訳です。

 光明主義の念仏は、その手立てとして三昧に入りやすいよう立体的な木像・鋳造の像などに替えてあえて平面的に雲上の如来上半身像を描き、〔三昧仏〕と名付けて上人が信者達にお与え下さったお絵像を前に、色を壊すことなくその慈悲の御顔に表れる全御徳をお慕いしお念じ申して南無(ナム)・阿弥(アミ)・陀仏(ダブ)と頭打ち三拍子の打ち込み式で木魚を叩いてする念仏をその特徴とします。

 ここで弁栄上人が行住坐臥常に絶やすなと仰った〈憶念〉とは単に如来様の慈悲の面を記憶するのではな

くお慕いしつつお念じ申す事。注目点は、この我々が正しく念仏の行を修する時の心構え即ち【起行の用心】

を従来の「安心起行の形式」と分けてお説き下さった所です。これはお弟子の笹本戒浄師が「いつの間にか忘れ去られた本来の伝統宗乗である〈見仏義〉を掘り起こして、過去数百年来の宗乗学上の一大疑念雲を見事に晴らして下さった」と感嘆なさっておられる 光明主義にとって極めて重要な所です。

 ここで言うお慕いすると言うのは感情ですが、弁栄上人は「宗教の真髄は感情である」として信より入った信仰の深まりに宗教的情操が特に重要であるとされました。そして『霊恋』(霊的恋愛)と言う仏教の用語としては珍しい言葉を使いつつ、法然上人の到達された境涯を窺い知ることの出来る最晩年のご道詠の中から「かりそめの 色のゆかりの恋にだに あうには身をも惜しみやはする」を異性への恋慕の情の如き表現の一つとして取り上げておられます。ご自身が作られた光明会の為の独自の勤行式「如来光明礼拝儀」は漢文でなく和文で書かれており分かりやすく、より親しみやすいものですが、要は如来様をお慕いしお念じし、片時もお離れ申さないこと これが信仰生活における大変大切なポイントであると言えるのです。

 所で仏道と言うのは、本来お釈迦様が二千五百年前に発見しお示し下さった仏になる成仏への道です。成仏には見仏が、見仏には三昧に入る事が必要であり、そしてこの三昧つまり「定」は基本的には仏教に必須の要素である訳ですが、弁栄上人はこの三昧の深まりつまりは成仏への道行きをご自身の体験に基づき念仏七科三

十七道品として示されました。これは原始仏典に見られる修行法を組み入れたもので、光明会でしばしば言及される〈五根〉(第四科)・〈五力〉(第五科)・〈七覚支〉(第六科)・〈八正道〉(第七科)はその後半の部分です。

 一般に肉眼以外の認識機能を認めない人達が大多数である中、光明主義では[五眼] 即ち仏教で言う認識機

能〈肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼〉を基本的概念とします。弁栄上人は「五眼」のそれぞれについて具体的かつ明瞭にお示し下さいましたが、特に仏眼の四位 開・示・悟・入 についての言及、とりわけ最高位の入の位・三身四智の仏眼についてのそれは今までにないものです。仏眼の悟の位の〈無生忍〉 は法身の平等の理法が認識できた広義法身との「形式的合一」であるのに対して、最高位〈入〉の位である《無生法忍》は報身の差別の理法が認識できた所で、悟の位では合一できなかった法身の最深の面との「内容的合一」である。これは悟の境界と入の境界の間に存する仏道修行上の最難関を突破して初めて説き得る内容です。

 さて《光明主義》と言う名称の由来でもあり、弁栄上人ご自身が如来様より与えられた宝鑰(宝蔵の鍵)としておられる《阿弥陀如来の要素である十二光仏による教説》は光明〈摂化〉主義の主要な特徴の一つです。上人は「この鍵無しには衆生は如来の秘蔵を開いて甚深の内容を窺う事が出来ないけれども未だかつてそれを知る人師なく宝の持ち腐れであった」としておられ、如来様の命を奉じてこの十二光〈名〉による布教が始められる事によって新しい法門としての《光明主義》が、形成されました。高弟田中木叉師は、収集したご遺稿のうち十二光仏それぞれに関するご遺稿を整理編集し、光明大系として出版なさいました。十二光を要約すると 無量光・無辺光・無碍光の三光は宇宙に充満する体相用の三大 (光明原理)、  無対光・炎王光は個々についての心理論(光明摂理)、清浄・歓喜・智慧・不断の四光は衆生を霊化する妙用 (宗教心理)、難思光・無称光・超日月光はそれぞれ信心喚起位・開発位・体現位(宗教倫理)であるとされ、前述の無生法忍はこの八正道:超日月光に相当す

る事が明かされております。

 さらに従来妙有より深いとされた真空の認識に対し、仏身論上のコペルニクス的転回とも言える見解を以

て真相即ち中道の真の意味を明らかにし、如來の三身とされる法身・報身・応身の中の報身でなく法身の粋、法身の中心たる根本仏としての「広義報身」に我々が帰依すべきと信仰の要諦をお示し下さった点が重要であることは言うまでもありません。総じてお経の洪水と難解な議論のジャングルの中から、途中で信念の変更をすることなく成仏の中心道を真っ直ぐに歩むのに必要なものだけをご自身の三昧体験に照らして選んでおられそれらが現代の言葉で語られたことの意義は はかり知れません。弁栄上人によって初めて明かされたことが多いからです。

 弁栄上人は膨大なご文章を書き遺されましたが、その中には寸暇を惜しんでお弟子や信者達に送られた たくさんのお便りが含まれており、御旨にかなう心を心として生きよと繰り返し繰り返し伝えようとしておられるのが分かります。最後のお言葉も「如來の在しますことを衆生は知らない・・・それを知らせにきたのが弁栄である・・・」と言うものでした。これの意味する所は自我観念に縛られて生きる私達に、如来の御旨に随順して生きる生き方のある事を示すもの、さらにはそれが御許へ帰っていく道であり人生の帰趣する所であるという事を示す為に骨身を削って下さった・・・ときに難解かつ対機説法を含む内容多岐にわたるご文章を拝読するの

は中々容易ではありませんが、現代の釈尊とまで言われた聖者弁栄上人のこれ程の教えを埋もれさせてはな

らないと言うのが、その教えに出会った者の共通の思いなのです。



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