NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
「五眼」については、仏教で古来よりある概念で、弁栄上人のご遺稿には当然の如く書かれており、光明主義においては常識かつ、これを抜きにしては考えられない程基本的なものです。 人に備わる(人間に開発可能な)認識機能を眼によって代表させ「肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼」の五つに分けて表現するのですが、通常私達には「肉眼(にくげん)」しか開いておりません。これには顕微鏡や望遠鏡を使って認識できる世界も含まれます。これを肉の眼(まなこ)と言います。これに対して天眼(てんげん)・慧眼・法眼・仏眼の四つを心の眼(まなこ)と言って統一的に働くのを特徴とします。また、肉眼と天眼が自然界に働くのに対して、慧眼・法眼・仏眼は心霊界に働く眼です。神道系の新興宗教の開祖の方々は大抵この天眼を開いた方々で、深くなると仏眼と見まごうばかりであるが、しいて言えば仏眼には五欲が働かないと聞いております。また催眠術にかかった状態と言うのはこの天眼である事を笹本戒浄師は東大の心理学教室におられた時、何度も実験で確かめておられます。実は千里眼というのもこの天眼の一種である事が世にあまり知られていない為、怪しげな超能力扱いされるのは残念に思えます。 明治の末期、透視の出来る女性の話が注目を浴び、東京帝大助教授で心理学の大家であった福来友吉博士が千里眼を認める立場から公開実験をなさいました。これが失敗に終わった事から、福来博士は誹謗中傷の的となり帝大を追われ、被験者御船千鶴子は自殺に追い込まれてしまいした。(失敗の原因について笹本戒浄師は、経典にもある通り三昧を妨げる五蓋の為に精神統一が妨げられたからであると指摘しておられます。大学内で学者のお歴々の疑いの眼が注がれる中、か弱い千鶴子さんの胸中にはもしうまく行かなかったらとの疑いやら、上手くやり遂げ誉を得たいとの欲やらがあったとしてもおかしくはありません。そんな場合には三昧に入れないのは当然なのですから、今日は透視が出来ませんと断っても差し支えない所でした。福来博士はこの五蓋の事をご存じなかったばかりにあの様な結果を招いてしまわれたと。因みに五蓋とは貪り・忿怒・昏眠・心の騒動・疑いetc.)です。)爾来「千里眼」が正しく認知されぬまま今日に至っているとすれば、その方がむしろ信じがたい事です。ですが、この「天眼」は仏道修行には必要ないのでこれを捨て、弁栄上人がご指導下さった念仏三昧を修する事によって先ず「法眼」が開けて心霊界の妙有を拝み、次いで「慧眼」も開けて真実の自己に目覚める。(この慧眼が円満になりついで法眼も円満になると言う順序で)これらが充分に育ち、両方が融合的に働く様になったところが「仏眼」の初歩とされます。これは光明主義では繰り返し説かれる基本の所ですが、仏教界に置いてすら一般常識となっているのか疑問であり、弁栄上人によるいわば古今楷定(ここんかいじょう)にもどうしても必要な概念です。 肉眼:生理的に自然に働く認識機能 自然界の理法を見る理性も含む 天眼:自然界を観る心の眼 慧眼:真空を観る眼 心霊界の無差別平等の方面を認識する 法眼:法界の妙有を観る眼 心霊界の差別現象の方面を認識する 仏眼:仏境涯を見奉る眼 慧眼と法眼が円満になり融合的に活動してはじめて働く 釈尊も弁栄上人もこの五眼を円に開いておられたのですが、三昧による認識機能があまり知られていない為、一般的にはどうしても肉眼による認識の限界内でのアプローチにとどまっていたのです。弁栄上人の教説が「自分は演繹的にではなく帰納的に説く」として、ご自身の三昧体験に基づいていると言うのがのが光明主義の原点です。 ![]() ![]() |
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