NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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はじめに

二千二十年は弁栄上人没後百年にあたる年でした。弁栄上人の布教活動を大きく3期に分けた方がおられますが、およそながら伝統的な説法をしておられた最初の十年、ついでご自身で刊行された「阿弥陀経図絵」を用いて説法された次の十年、そして光明主義を掲げて布教なさった最後の十年です。その間に書き描かれた墨跡・仏画は現存するものだけでも千点を超え、信者への書簡を含む遺稿の山も膨大です。世界的数学者の岡潔博士が一点の私心も無いと驚嘆されたそのあり様は御仏に捧げ尽くされた稀有のものでした。当初は特に訛りもあり分かりやすいとは言えない朴訥とした感じの説法だったのですが、後に何とも言えない尊い霊気の様な余韻が残る事に人々が気づき始めたというエピソードが残っており、それは最後まで接した人々の心を捉えました。晩年浄土宗の僧侶方の中に弁栄上人に帰依する方々が増え、それぞれご自分達の理解に応じて布教活動をなさいますが、この直弟子にあたる方々との弁栄上人との出会いにも以下の様なエピソードが伝わっております。「(再会時)身心が電流に打たれた如く、なんとも言えぬ感じがこみ上げ思わず泣きじゃくりなみだ止まらず体動けず長い間ひれ伏してしまった。・・・久遠の親様にお会いした心地にて慢懈怠の過去が恐ろしくはじめて真実求法の志が湧いた。」(籠島順故師)「腹をえぐられたように感じ、長い眠りから目覚まされた様に感じた。」(熊野宗純師)「おん身より霊気を放ち、涼しい活きいきした光が、おん身の周り一間四方に輝いているのをしかと拝し、霊気にふれ、恍惚として酔うたような気持ちになった」(藤本浄本師)等々。 没後百年を経てその残り香が乏しくならんとする今、伝え残せる事を田中木叉師と共に二大弟子のお一人とされる笹本戒浄師に伝わる奥義も含めてお伝えしたいと思います。

 

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