NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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弁栄聖者が12歳の時、ご生家の裏の杉林の上に弥陀三尊を拝まれたと言うのはご伝記「日本の光」にも記載があり有名なお話です。これに後日談があり、想見即ち想像で見奉ったのだとご自分でお分かりになったけれども、余りにも有り難く是非ともまさしく生きた弥陀三尊にお目にかかりたいと一心にお念仏なさったと。ところがおよそ一ヶ月後には弥陀三尊を弥陀一尊になさったと言うのです。ここで12歳の聖者が弥陀三尊から弥陀一尊を身奉りたいと変更された事は、光明主義の道行きの上で非常に重要な事なのだそうです。不思議と雑念の三昧に入り込むことなく真っ直ぐ進まれた。この聖者のご変更は「従来の酬因感果の報身を念ずるのではなく、道の発見者でありながら、成仏の周辺道を進まないで(中心を得れば全体を獲得することができると言う)一番良い中心道の見仏の道を進んで自然法爾に、法身の中心である絶対自身の報身をお念じ申すようになる第一歩を示すものとして」特筆すべき事であり、光明主義を光明主義として成立させている光明主義の特質・本質に直接関わる事実である旨杉田善孝上人が強調しておられます。参照:光明誌(S63・1月号)

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