NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
一切の衆生は、大ミオヤの宇宙全一・絶対無差別平等の大我を等しく統一的主体・真実の自己としておりながら、自分をつねると自分だけがその痛みを感じ、他人はその痛みを感じない。この様な自分と他人の認識の差別を生ずる根源は何か。従来の立場は衆生が経験する差別現象は絶対無規定円成実性・不生不成無作無為の真実在である絶対理性に規定されて生成作有為の変化をする感性によるものとみる。それに対して弁栄上人(聖者)のご教示は「共に絶対無規定円成実性・不生不成無作無為の真実在である同位同等の絶対理性と絶対感性の統一調和した能動的活動として、一切の衆生が等しく大ミオヤの絶対唯一の永遠の生命・絶対の大我を認識主体としながら一切の主と客・自と他・内と外のあらゆる相対的因縁因果の差別の認識が顕現する」と言うのである。光明主義文献刊行会 「光明主義玄談 巻四」参照 従来の教えは、私どもの見る主・聞く主としての真実の自己、統一的主体は等しく如来様の絶対無差別平等で分つべからざる唯一の大我でありながら阿頼耶識の各人各別の区別を生じ末那識に自他を区別する自我観念が発現する各人各別の区別自他の区別を生ずる絶対的根源が不明のままであります。 法身の中心である絶対の報身の本より絶対円満な絶対理性と融合統一調和しておる円成実性の真実在である絶対感性の能動的発現である「衆生心に沿相応した因縁因果の相対的感性」により阿頼耶識に各人各別の区別を生じ、末那識に自他を区別する自我観念sが発現する。弁栄上人の三身四智の仏眼によるこのようなご教示は従来の教えにはありません。・・・私が引用しました『瑜伽論』『解深密経』『臨済録』等は皆ただ今申しました重要な所が不明なままの経論でありました。統一的主体に関する笹本戒浄上人の御教えより ![]() ![]() |
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