NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
九州は光明主義のお念仏の盛んな所ですが、筑前に出られた荒巻くめ女という方の事はご紹介しておきたいと存じます。この方は弁栄聖者とほぼ同時代を生きた方ですが、聖者の済度を頂かれた全国の多くの妙好人の中でも傑出しておられるものと思われます。日頃の朝夕の日課念仏から始め「憶いの珠」と聞かされたお数珠に仏を憶って一心にお念仏するうちしだいに熱が入っていったのですが、大正6年(65歳の時)聖者のご指導を受けられるようになってよりは弥陀千日詣りの大願をおこす等、念仏精進の思いがさらに昂じていったといいます。如来様憶いの念仏に明け暮れるくめ女は時に露地にゴザを敷き、時に木の根元に俵を敷いて一心不乱に念仏。ご近所で「近頃幽霊が出るそうだ」と噂になったその主が、未だ夜が明けきらぬうちから白い布を被って千日詣りするくめ女その人だったというエピソードも残っています。そうこうする中、いつしか念仏ばあさんとして有名になったくめ女は子供達にも親しまれ周囲の人々を導く傍ら、単身御手洗ケ滝の渓谷岩洞等へ度々参籠しての精進は度を増し、大正9年聖者のなくなられた後も人知れず心境を深めていったものと見えてその心境を偲ばせる多くのお歌とエピソードが遺されています。その純粋なひた向きさには何処となく徳本行者を思わせるものがありますが拙い字で「徳本上人おん歌よみのこと」として徳本行者のお歌の抜き書きも遺されているそうです。 ![]() ![]() |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/05)
(12/28)
(12/12)
(12/04)
(03/06)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|