NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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観念的一切智の間は、慈悲の聖容を拝みたいと念じなければその御姿を拝む事が出来ません。しかし認識的一切智を得ると、慈悲の聖容を見奉りたいと念ずる意思活動を必要としないで、意識活動をしている時には常に自由に報身仏の御姿を見奉っている自在の境涯が実現します。(しかし)人間は肉体を、持っているので認識的一切智が実現しても、文字通り十方三世一切の差別の内容をことごとく詳しく具体的に識別出来る訳ではありません。認識的一切智によって識別出来る差別の現象の内容と範囲は(状況により)変化するのであって識別出来ない差別の現象についてはその差別の内容を規定する大ミオヤの法則を了々と認識するという訳です。それで誤解を防ぐ為に認識的一切《知》とするのが良いと思われると戒浄上人様はおっしゃっておられます。 光明主義文献刊行会:光明主義玄談巻三 笹本戒浄上人のご教示より

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