NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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越後の浅井法順上人の往生のご様子をご紹介させて頂きましたので、この機会に江戸時代に出られた徳本行者(1759-1818)の往生のご様子を少しご紹介致します。徳本行者は弁栄聖者がそのお悟りの深さにしばしば言及しておられいわば別格とも申し上げてよい方です。亡くなる前の月の別時念仏の折「我が臨終も近い」と仰せられてより将軍家を始め各所よりお見舞い面会等のご所望ひきもきらず・・・となった訳ですが、翌10月6日のあかつきが現れ始めた頃「今日はわれの往生する日である。お釈迦様お涅槃の時も、元祖(法然)様ご入滅の時もみな頭北面西で臥しておいでであった。われは16歳より今日まで一日も横になって寝なかった念仏行者である故、座ったままの往生はいと容易(たやす)いが仏祖にならって横になろう。」とおおせられ初めてお布団の上へ。にっこりと「さあ、これから念仏しよう。」とおしゃるや全身全霊打震わせての強く大きなお念仏のお声が小石川一行院(行者を江戸へ引き留めたいとの信者達のたっての願いにより御自行とご教化の為建てられた道場)の門の外まで。唱和のお弟子方が疲れてしまうのにひきかえ、少しのお疲れもお見せにならない行者は、巳の中刻お食事をなさった後、お筆をとってすらすらと辞世の歌をしたためられたと伝わっております。
 南無阿弥陀仏生死輪廻の根をたたば 身をも命もおしむべきかわ 徳本

お筆をお弟子に渡すとご満足の笑みをたたえつつ子供のようにごろりと布団に休まれ、念仏のお声がすこし低くなったと思うや泊然とお命絶えさせ給うたと。所で、徳本行者のご内証の深くして深いことは弁栄聖者によって私どもの知るところとなったのですが、喉から血が出る程の称名念仏等その修行の激しさや数々のエピソードが、芦屋の光明会聖堂発行の「光明」誌に連載されたものをまとめた本「徳本行者」(岡本鳳堂著)に紹介されています。

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