NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
昭和30年4月光明会聖堂発行の『成仏の直線道』と言う小冊子よりエピソードを一つご紹介致します。それは或るとき杉田善孝師が笹本上人様に質疑しておられる時の事であったそうです。 道元禅師は夜も寝ないで坐禅をなされ、もう足も湾曲してしまう程に修行に修行を励まれたので師の如浄禅師は「汝の様子を見ると真に古仏の姿がある。遠からず古仏の妙所に達するであろう。坐禅している中には妙なる香をかぐ事があるであろう、結構なものに触れる事があるであろう。それは吉祥だから励んで坐禅せよ」と言われた。禅の道もこの様に慧眼了々と開く当面の目標を達成するが出来ると、今度は法眼開く道を教えて向上の一路を与える。しかしここ迄進み得る人が果たして何人あるだろうか又斯かる如浄禅師の如き禅の達人に遇う事がうまく出来るだろうか。しかも如浄禅師の法眼はそのお言葉にもある様に「未だ頗る幼少であられた」のだと言う所まで話が進んだ時、笹本上人様はハラハラと涙をこぼされ、「有難い事に有難い事に」と言葉を詰まらせられたと云う。 笹本上人様は、過去の信仰の歴程に於いて、弁栄聖者にお会いする迄のご自分のご苦労の惨憺たるものであった事を思い、ついに究竟の達人弁栄聖者に値遇され、いま現に尊いお悟りの境界に達し得たる有り難さを顧みて、弁栄聖者の御教えが霊応身を自らの心殿にお迎え申すと言う成仏への最短の道であり直線道であり易行道である事の尊さ有り難さ、この様な尊い御教えを賜った聖者の広大なる慈恩に対して感涙にむせばれたのであろうと思う。 ー能見寿作「人中の獅子・戒浄上人」よりー 能見氏は戒浄上人の直弟子杉田師から聞かれたことを上記のように伝えておられます。
大島上人は弁栄上人様の事を生粋の立派な方だと耳にしながらも浄土宗の異安心だと思って長らく寄り付かなかったそうです。本山の指令による布教伝道にあたってもその時分は普通の布教師でしたので、夜更かししては翌朝眠い目を擦りながら登壇して講演したりしておられました。ところがあるとき熊本のお寺での5日間の講演中(大正9年3月)に「講師さん、あんたのお念仏は有難いですか?」、お念仏をしっかり申しなさいと講演を締めくくると「あんたはお念仏申されてますか?」とこう言う無言の声が反響となって心に返って来ていたたまれなくなり、我々がこんなことでは浄土宗は滅亡すると心の中に非常に懺悔の念を抱きつつご自坊(伊予松山大林寺)へ帰られました。そこへ弁栄上人にお逢いになる機会が訪れます。帰依者の発案により市内のお寺で弁栄上人を招いての7日間の法要が営まれ参加の機会を得られたのです。始めは讃歌など歌ったりしてキリスト教の真似のようにも見えるし、お弟子の佐々木為興上人は代講で「この弁栄上人のお教えをよう受け取らん(受け取ることが出来ない)様では馬鹿坊主じゃ」と高笑いなさるし・・・「こんなことを言う奴が馬鹿坊主じゃなあ」と寧ろ反感を覚えたりしておられたのですが、弁栄上人様は『宗祖の皮髄』を一冊づつお渡しになり講義を始められました。そして玄瑞上人は、十分熟していないと思っていた従来の三身論が弁栄上人の三身論に至って初めて成程素晴らしいと思われたのだそうです。そして宗祖の皮髄にはないものの神話の弥陀・四十八願成就の伝承の弥陀・贖罪的の弥陀・三昧対象の弥陀それから宇宙最尊の弥陀と五通りに説かれたこれが従来我々の疑問としておった所を余さず説かれた大説法だと思われました。これが弁栄上人最晩年となる大正9年の夏のことで、玄瑞上人はそのまま弁栄上人ご一行に同行して広島へ渡られました。最後の年にご縁を得る事になった玄瑞上人は、その後ご自坊にて松山光明会を牽引し在家特に多くの青年を育成なさいました。因みに弁栄上人が筑波山でのお悟りの内容を直接漏らされたお二人のうちのおひとりでもあります。光明誌S55:大島玄瑞上人の聖者追慕録より
天台智者大師智顗(568~597)が、光州大蘇山に南岳慧思の門をたたいた時、慧思は大師をひと目見て「昔お釈迦様が霊鷲山で法華経をお説きになられた時に同じ席で聞いた者同士ではないか」と不思議な再会を喜ばれ智顗はお弟子となったと伝わっており、これを「霊山同聴の宿縁」と言うそうです。大師は慧思の指導のもとで一心に修行し、ついに法華経の真髄である法華三昧という最初の悟りを得ました。
私どもは、念仏三昧により時空の框(かまち)を脱した境界においては三世を当念に収める故にお釈迦様が霊鷲山でお説法をしておられる姿を拝むことも出来ると承っておりこのエピソードもたいそう興味深いものです。先年、京都国立博物館の国宝展で天台智顗の御衣が展示されているのを拝見したときはしばし佇み感慨に耽りました。2024.10.31
従来の(伝統的)浄土教で言う「報身」と、弁栄聖者が「報身は法身の中心・粋(すい)である」とお示しなさった「報身」では根本的な相違があり、これは非常に重要なポイントと考えられます。従来の浄土教が(自然界と心霊界の)一切の本体である「法身」を絶対者・根本仏と仰ぎ、人格的お姿まします「報身」を体大法身に規定される第2位の仏身すなわち体大法身より自発する心霊的現象態とするのに対して、聖者は「本体法身の中心である絶対の報身」が一切の根本仏であるというのが真相であることをご自身の三昧体験に基づいて示されました。言い換えれば「報身」は法界の中心として一切の統一者・一切の根本仏なのであって、「法身」(の全体)は法身の中心である「報身」の統摂下にあるという事。これは仏身論におけるコペルニクス的転回であると後に笹本戒浄上人が評価なさいました。
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