NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
弁栄上人は東京遊学中の二十三歳の時、華厳三昧を修しつつ悟境を深め三昧修行に専心しました。郷里へ戻りさらに筑波山に籠っての激烈なる念仏三昧修行を経ての三昧発得偈に「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念 一心専念能所亡 果満覚王独了々」。ここ迄で仏眼の「悟」の位の半ばあたりまで到達されたとされ、さらに三十代で「三身四智の仏眼」を得たと言われますので、これはもう途方もないと言える程の高い境地と考えられます。最終的には仏道修行上の最難関とされる「悟」の位から「入」の位への突入をも果たし、それまでの仏教では雲に隠れて判然としなかった領域に踏み込んだ立ち位置から様々な事を明らかにして下さった訳です。弁栄上人は「自分は経典から演繹的に説くのではなく、自身の三昧体験に基づいて帰納的に説く」としておられますが、ここが光明主義の原点とも言える極めて重要なポイントと思われます。弁栄上人は究極の三昧に入ったとき、ご自分と釈尊の間に期せずして唐の善導大師と法然上人様を三昧直観したと述懐しておられます。これに同様の三昧を得ておられた江戸時代後期紀州に出られた徳本行者を加え、人類史上「三身四智の仏眼」を開いたのはこの五人のみと考えられます。ここで釈尊を脇に置き浄土門の三人を見てみますと、壮絶な修行で知られる徳本行者が残されたのは殆どエピソード と短歌のみ、善導大師と法然上人様はこの難関を突破なさいましたのがごく晩年であったと言う理由から、文献上はそのご境涯について伝わっておらず、法然上人様については僅かにお歌から窺い知る事ができるのみ、善導大師には多くの著作の中から、部分的に窺い知るのがやっとと言えます。善導大師を高祖とし法然上人様を宗祖とする鎮西流浄土宗に伝わる内容が、その様な訳で法然上人様の真精神を充分に伝えていないと言う事実。それを考えると弁栄上人の布教活動が次第に宗乗の枠からはみ出して行く様に見えるのは自然な成り行きであったやも知れません。そしてこれが「異安心」つまり異端と捉えられるのは無理からぬ事でもありましょう。しかし法然上人様の真精神を明らかにすると言うのは、寧ろ法然上人様への原点回帰と考えられるのであり、それが大乗仏陀釈尊の三昧に直結する仏道本来への道を示す教えでもある事が広く了解されれば、自ずと道が開ける様に思います。経(般舟三昧経)に「三世諸仏は念弥陀三昧によって正覚を成ず」とある様に念弥陀三昧によらずして《三身四智の仏眼》を開いた方はいないとすると、弁栄上人の歩まれた道は仏道修行上の正統派と言う事が出来ると思うからです。これが弁栄上人を以て釈尊・善導大師・法然上人の真精神を現代に蘇らせたと言われる所以です。 随行中に弁栄上人は異安心ではないかとの大いなる疑義を持ち、思い余って命がけで宗義の問題について迫った大谷仙界師に対して「弁栄の苦心は如何にして法然祖師の真精神を現代に復興せんかとの一事である。」と答えられたとのエピソードには胸を打つものがあります。 「自分の主義は活きた法然上人の意思をつぎて、大ミオヤの光明によりて、いまの世の中の心が闇黒に迷うて居る人々を明るい光明のうちに入りて、しかして肉にばかり生きて居て霊に死して居る人を、心霊に活復させて此の世から大ミオヤの中にひぐらしが出来るようにいたしてやりたいのが目的である。」(弁栄上人書簡集三0六~三0七頁)これはダイイングメッセージとも言える「如来は・・・いるもましますけれども・・・衆生は知らない・・・それを知らせに来たのが・・・弁栄である。」にも通じる弁栄上人の一貫した想いであったと思えてなりません。 念仏三昧を修して三昧相応し信念到る所に大観念の窓は開かれん。称名は此の関門を叩くの声なり。憶念は此の宝蔵を開くの宝鑰なり。若し念仏三昧の鍵を用いずば、如来の一大観念界の門は開くべからず。此の秘密の蔵を開くにあらざれば蓮華蔵界の法界宮に到ること能わざるべし 。(光明体系光明の生活) はじめに 二千二十年は弁栄上人没後百年にあたる年でした。弁栄上人の布教活動を大きく3期に分けた方がおられますが、およそながら伝統的な説法をしておられた最初の十年、ついでご自身で刊行された「阿弥陀経図絵」を用いて説法された次の十年、そして光明主義を掲げて布教なさった最後の十年です。その間に書き描かれた墨跡・仏画は現存するものだけでも千点を超え、信者への書簡を含む遺稿の山も膨大です。世界的数学者の岡潔博士が一点の私心も無いと驚嘆されたそのあり様は御仏に捧げ尽くされた稀有のものでした。当初は特に訛りもあり分かりやすいとは言えない朴訥とした感じの説法だったのですが、後に何とも言えない尊い霊気の様な余韻が残る事に人々が気づき始めたというエピソードが残っており、それは最後まで接した人々の心を捉えました。晩年浄土宗の僧侶方の中に弁栄上人に帰依する方々が増え、それぞれご自分達の理解に応じて布教活動をなさいますが、この直弟子にあたる方々との弁栄上人との出会いにも以下の様なエピソードが伝わっております。「(再会時)身心が電流に打たれた如く、なんとも言えぬ感じがこみ上げ思わず泣きじゃくりなみだ止まらず体動けず長い間ひれ伏してしまった。・・・久遠の親様にお会いした心地にて憍慢懈怠の過去が恐ろしくはじめて真実求法の志が湧いた。」(籠島順故師)「腹をえぐられたように感じ、長い眠りから目覚まされた様に感じた。」(熊野宗純師)「おん身より霊気を放ち、涼しい活きいきした光が、おん身の周り一間四方に輝いているのをしかと拝し、霊気にふれ、恍惚として酔うたような気持ちになった」(藤本浄本師)等々。 没後百年を経てその残り香が乏しくならんとする今、伝え残せる事を田中木叉師と共に二大弟子のお一人とされる笹本戒浄師に伝わる奥義も含めてお伝えしたいと思います。
念仏信仰は仰ぐ衆生の心本尊報身に対する信念によって一神教とも汎神教とも又超在一神教ともなります。狭義見仏にしても従来の如く十劫始成の西方阿弥陀仏に逢い奉ると言うのが信念なら汎神教となりますが、光明主義の狭義見仏は法身の中心本有無作の報身阿弥陀仏に逢い奉るのを信念とするので超在一神的汎神教となります。そして汎神教から超在一神教への信念の変更が困難を極めるので、事実上超在一神的汎神教によらなくては大乗仏陀釈迦の三昧に入神する事は出来ないのです。それが叶うのが今生においてか来世においてか来々世においてか・・・それは分かりませんが、とにかく無上菩提心を起こし、今生においては行けるところまで行っておきましょうと言うのが弁栄聖者がお説き明かし下さった奥義に添う光明主義の行き方なのです。 参照:柴 武三弁栄聖者の弥陀の啓示 「開・示・悟・入」
「法身理想的啓示を被って(仏眼の四段階である開・示・悟・入の中の)「悟」の位に証入し、法身の体を形式的に我ものとするという境涯を最終の理想」とするという様に仏法を受け取ると、これは従来通りの単なる《汎神教》となります。報身は酬因感果の身、始成の仏であり、本有無作永劫に常住なものは法身真如だけとなる。そして報身はその法身を悟る身となった仏であるからその点仏々平等。これが《汎神教》です。ところが「入」の境界に証入して見ますと宇宙大霊には中心があり、理法のままに法身内蔵の万徳を顕現しておられる事実を確認するに至る。それが報身であり、従って報身も(法身と共に)本有無作。また応身も報身の性能として久遠劫来何時でも何処にでも発現出来る能力を具えておられる故にまた本有であります。宇宙大霊はかくの如き一大霊的人格態として超在一神教的実在と言わざるを得ません。然るにこの超在一神としての三身即一の弥陀には念弥陀三昧を以て三昧合一すれば成仏出来ると言うのですから、その点から言えば汎神教であります。この様に、超在一神の弥陀を仰ぎながら同じ仏となれる教えと言う意味で光明主義を《超在一神的汎神教》と申します。 柴武三著:弁栄聖者の弥陀の啓示「開・示・悟・入」 より
光明主義では人格完成・成仏に役立たず如来様の事実を正しく認識する事が出来ない三昧を全て不健全(病的)な雑念の三昧であるとしてこれを捨てます。お念仏の功徳は色々と説かれており、魔境など邪なる三昧は別として如来様の智慧のお光明に照らされて開ける三昧でさえ、如来様以外の極楽の荘厳でさえです。結構な極楽の瑠璃地を拝んだりしますとそれに心惹かれて、念弥陀三昧を忘れて念瑠璃地三昧になってしまいかねないのですが、瑠璃地は私たちの心を完全に霊化してお世嗣とするだけの功徳を持たない故に心を注ぐべき対象は大ミオヤのみである。それで(瑠璃地に心惹かれて瑠璃地三昧になってしまったりするのは)信念が不徹底という事になる。そこを弁栄聖者は「念瑠璃地三昧は念弥陀三昧ならず」「心を注ぐ対象は大ミオヤ(のみ)である。」とお述べになっておられる訳です。
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