NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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光明主義のお念仏をする人達の集まりが有縁の各地で活動しておりますがその一つ横浜光明会(弁栄聖者のお弟子笹本戒浄上人様のご自坊であった東神奈川の慶雲寺を中心に活動)主宰の河村先生に銀座並木通りにある『空也』の【空也最中】が茶人にも人気で美味しいと教えて頂きさっそく予約の上入手し賞味したことがございました。先生は100歳を越えられ(昭和12年に亡くなった)戒浄上人様に直接教えを受けた人で現存する数少ない内のお一人。実は今日あることに気づきました。笹本戒浄上人全集の別巻(昭和62年発行)に「御別時中の奇瑞」という題で先生が実際に経験なさった出来事について書かかれた文章があります。それは昭和十年に参加なさったあるお別時でのこと。ご法話中ある方が「お上人様、お上人様、お口元より如来様が次々と現れておられますが・・・。」お上人様はしばしその方に慈眼をそそぎお話をお続けになられましたが、しばらくしてまたその方が「お上人様、お上人様、お口元より又 如来様が次々と現れておられます。もったいないことです。」と感動した声て再び叫ばれた。その光景を尊くも奇異に感じておられた先生ですが、その後お口元から六体の阿弥陀仏が現れている京都六波羅蜜寺の空也上人像を拝し深く感銘を受けらたとのことです。先生には特別の思いがおありになった訳ですね。一般にはあれは想像あるいは意匠と思われていると思いますがそうではないことが、先生のお話によって分かるのです。 




                                                         
昨日友人から『クモの糸』の話を聞き、これはとても分かり易い喩えになるのではないかと思いました。「私達がその糸にしっかりとしがみつかなければお釈迦様は引き上げようにも引き上げることがお出来にならない」のだと。しがみつくといえば如来様が私共をお救い下さる仕方はネコ的でなくサル的であると承っております。子ネコは何もせずとも母ネコが運んでくれるのに対して、子ザルはしっかりと母サルにしがみついて運ばれる。双方の力が相まって働くのだから如来様をお離れ申すまじとしっかりおすがりしていなければいけないというのです。自力と他力の関係については別の角度からの喩えも承っております。私達に眼があり(眼という認識機能が備わっており)、光が射すからものが見えるのであってそのいづれを欠いても見えないと。自力は聖道門の行き方とされ他力に頼る浄土門は伝統的に自力を嫌って来たのですが、如来様のお光明に照らされ信行相まって事の真相が見えかつ救われていく行き方を理法に則って弁栄聖者はお示し下さった訳です。それにしても心臓を自分で動かしている人(生き物)はいない訳ですので、生かされていることは間違いありません。絶対他力、絶対自力というものはあり得ないのだと承っております。

2007年10月よりホームページを開設致しておりました 【相模原如来光明会】 がこの度ブログを始めましたのでどうぞよろしくお願い申し上げます。S.N.K.S.



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