NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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諏訪湖を臨む信州唐沢山に弾誓(たんぜい)上人が開かれた阿弥陀寺というお寺がございます。縁あって大正8年弁栄聖者ご指導の第一回別時念仏会がこのお寺で開かれて以来毎夏のように別時念仏会が開催されて参りましたが、その第一回目の時のお話。後に弁護士になられた柴武三という方が学生時代、このお寺でご友人と試験勉強をしておいでになり聖者と初めて出会われた時のことです。柴さんのご友人の机の上に置いてあった英文のタゴール詩集を聖者は手に取ってパラパラとめくって机にお戻しになったのだそうです。さてその後のご法話の中で「先ほど書生さんのタゴール詩集をみましたが、その中に大自然のことを見事に表現している詩があった。」とその詩について説明なさるのを聞いて驚いた柴さんがご友人に確かめた所その通りとのこと。そこで英語をお読みになれるのか聖者にお尋ねしてみますと、「英語が読めても読めなくても、タゴールになってしまえば、詩のこともまたその詩を作るに到った思考過程もすべて分かるのです。」とのお答え。これは一切が観念として蔵されていて認識上の事実となる聖者のご内証の深さを物語るエピソードであると承っております。
戒・定・慧(かいじょうえ)と言うのはオーソドックスな仏教における基本とされているようですが、それはまず戒を保って心を清浄にし、定心(三昧心)を得て、その定心に仏様のお智慧を頂くすなわち仏知見を開くという道行きになっております。唐招提寺金堂の修復で近頃話題になった唐の高僧鑑真和尚は、正式な戒を授ける僧のいなかった日本へ招聘され国禁をおかし、盲目となってまで渡っておいでになり東大寺戒壇院を作り授戒の制度を伝えられたと伺っており、この時代の僧の方々の法を伝えんとする或いは求めんとする情熱には心打たれるものがあります。所が私共凡夫にとってこの戒を保つをいうのはなかなか容易なことではありません。保ったとしても不完全さを免れず従って得られた悟りも不完全。それで難行道(正道門)となってしまうというのが念仏門の考え方です。従って念仏門では始めは戒をうるさく言わず、如来様のお光明を頂くにつれ自然に保つ力がついてくるという進み方になる旨承っております。

蝶となり百年を花上に遊んだ夢を見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑ったという「荘子(中国戦国時代の思想家)」の有名な故事があります。これはなかなか示唆に富んだお話ですが、弁栄聖者は『お浄土』というものについて次のように述べておられます。釈尊は五眼(ごげん認識機能)をつぶさに備えていらしたので、肉眼(にくげん・私達が普通に持つ認識機能)では私達と同じように娑婆(しゃば)を見、仏眼(ぶつげん・仏の眼)ではお浄土を観じておいでになったと。そして世の中に浄土の存在を疑う者があるのは己が生死(しょうじ)の夢の中で見ている物を実物と思って、夢から醒めた聖人の仏眼に観ぜられる方は自分に見えないから無いと思っている故であると。私達は普通に見ている夢から醒めますと、夢だった・・・と分かる訳ですが荘子のこのお話は私達が何の疑いもなく現実と思っている事共の危うさを示唆していると思われます。

過日、笹本戒浄上人様のご法話から・・・原始経典パーラーヤナにあると言う「お釈迦様はこちらが心の中でご質問しただけで口に出さなくともお答え下さった」というお話をさせて頂きましたが、それに類似するエピソードをここで一つご紹介して置こうと存じます。京都・熊野神社交差点角に恒村医院という病院がございますがその初(先々)代院長にあたる恒村夏山(京八)先生という方はお嬢様を亡くされた悲嘆の中で縁あって光明主義に出会われ、熱心な念仏者となって後に光明会の為にたいそう尽力なさった方。その先生が弁栄聖者に初めて会われた時のことです。聖者を訪ねて大阪府下の山寺であった聖者ご指導のお別時(日時を定めて集中的にお念仏をする機会)に参加なさった先生ですが、初日の夕食後の休憩時、果物籠を手に果物を皆にお勧めになりながら「何かご質問は・・。」とおっしゃる聖者を前に頭がボォッとしてしまってご質問がお出来にならなかったのだそうです。するとなんと「あら、そうでしたね。法身・報身・応身のことでしたね。」と聖者。実は少しばかりお勉強をしておられた先生には、聖者がその日のご法話で法身を人格的に説かれたまさにその箇所でぱっと疑問が起こったのですがそのことを忘れておられたのです。聖者は大円鏡智のお力でその折の先生の疑念をちゃんと認識なさった上でご質問を口にしていないのに的確にお答え下さったと私共は承っております。因みにさらにご質問を重ねた先生は「如来様は主観的客体に在す。」という非常に重要なお答えを、この時引き出しておられます。N.O.

正道というのはお釈迦様が最初に修行の方法としてお説き下さったということは比較的よく知られているようですが、これは実は七科三十七道品という形で原始仏典にある修行法の最後に見えるものです。弁栄聖者は特に終盤の4つのステップすなわち五根(ごこん)・五力(ごりき)・七覚支(ひちかくし)・八正道(はっしょうどう)をお取り上げになり、それぞれを小学生に対する修行法・中学生に対する修行法・大学生に対する修行法・学校を卒業した者に対する修行法だとおっしゃいました。笹本戒浄上人様は仏道の本義からして禅定すなわち三昧を含まない修行というものは仏法の修行ではないとしてそのそれぞれの段階に入っている「定(じょう」というのがすなわち三昧であること、また聖者がそれぞれの修行法をはっきり分けてお示し下さっている点を指摘しておられます。聖者はあるご婦人へのお便りの中で「十二光によりて如来の霊徳を密かに開くの命を奉ず。」と述べておられますが『光明主義』の名の由来でもあるその十二光の最後の3つすなわち難思光(なんしこう)・無称光(むしょうこう)・超日月光(ちょうにちがっこう)にそれぞれ五根五力・七覚支・八正道をあてはっきりとそれぞれの段階の修行法を分けて私共にお示し下さっていると。光明主義は念仏三昧修行法が極めて具体的かつ的確に示されているのもその特徴の一つと言ってよいと存じます。N.O.


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