NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
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伊予松山は京都・東京と並んで学生光明会の活動が盛んであった所と言われております。弁栄聖者最晩年(大正9年6月)にご縁があり、月照山大林寺の大島玄瑞上人が深く帰依されたことから当時大林寺に寮のあった松山高等学校(旧制)の学生を中心に多くの念仏者を輩出しました。とりわけ笹本戒浄上人様をお迎えしての念仏会に際しては議論も白熱、お念仏にも力が入り叩き割られた木魚もあったとか・・・学生達の熱き思いが偲ばれます。数少ないご存命者のお一人はお上人様よりの大切なご教示を爾来長らく胸の奥深くしまっておられたそうですが、晩年公表されておりますので一部ご紹介させて頂きます。その方は「最近お念仏中になにか変わったことがありましたか」とお上人様に問われてその2.3ヶ月前のこと本堂の本尊様の前で友人と二人で一心にお念仏していたところ、突然前方の如来様がシュルシュルと音をたて、クルクル回りながら降りてこられて、あっというまに自分と一つになってしまった。その瞬間木魚の音も、自分の体も隣の友人も畳も天井もなにもかも無くなってしまい、あるのはただハッキリ、ハッキリ分かっている自分だけという状態になった旨お話したところお上人様は大きくうなずかれ、にっこりとただひと言「果満覚王独了々ですな」と。因みに果満覚王とは大宇宙中を身とし心としたまう如来様のことで、聖者の三昧発得偈文中にも見えることを後日知り吃驚なさったとのことです。
禅の方で「本来無一物」という事が言われますが、弁栄聖者がご自身の境涯についてある講演会(大正5年知恩院・雪香殿における高等講習会)でお話をされた記録が遺されております。それによりますと聖者はお若き折(23,4歳の頃)、東京で卍山律師の許へ華厳の五教章の講義を聞きに通われたのですが、同行された黒谷の大鹿法主が研究のおつもりであったのに対しご自分は実行の方面から進まれたと。ある日下宿先より通学の途中、野原を通っておるとにわかに世界が変わり野も路も山も小川も何も皆無くなり、天地一枚の境地となってただ歩いている下駄の音のみ聞こえていたが、ついにそれも無くなった。それから絶えず実感実証に進んで(現在に至り)今皆様の前に立っているけれども(三昧に入れば)5分程の間に向こうの障子も畳も天井板も皆見えなくなって、ここが天地一枚の境となる云々。どうか仏教を学ぶ方は実行方面よりお進みなさるがよろしかろうと冒頭に仰せになって講演が始まったとの事です。私共はさらに同じ天地一枚・無一物と言っても先のは慧眼によるもの、講演時すなわち晩年のそれは三身四智の仏眼の力による無一物である旨承っておりますが、24歳の時すでに華厳の法界観を成就しておられたのは驚くべきことと存じます。
仏教では臨終時に三種の愛心が起こると言いますが、それぞれ眼・耳の働く段階、眼・耳の働きがなくなる段階、生まれる先の事が見えて他の物は何も見えない段階に分けられ、特に死んで後未だ(次の身に)生まれ変わらぬ間の身を中有(ちゅうう)と申します。よく眼が利くので人間として生まれる者は人の情交に見とれ、その心に引かれて其処へ飛び込む即ち人の胎内へ宿るとされています。中有の身は又まばたきの間にも遠くへ行く事ができるのだそうですが、非業の死を遂げた者は多く中有となってさまよい百年以上迷う事もあるのだとか。徳本行者にそういう例をお救いになったお話が伝えられておりますが、弁栄聖者も全国を巡錫の折、井戸に投げ込まれたり川の中で(橋桁に引っかかって)長らく供養も受けられずにいた者達を弔われたそうです。
人間は何が一番幸福でしょう・・・この世はおろか未来遠きにまでも、離れずに大なる慈愛の光明に懐かれておるお互いはこの上もない幸福ではありませんか。この世に大なる大ミオヤのましますことを知らずして、あたら人生を気まま我が儘に空しく徒に闇のうちに葬ってしまう人は、本当に親様に対しても不幸のみならず自分でも本当に損であるけれども、左様な人は只気まま贅沢で世を送れば真の損ということが分からぬものゆえ、還ってその方が幸福だと思っておる。それというも大ミオヤの聖意が少しも分からぬ故である。又人生は何の為に生まれ来たりしや、目的が何の為とも定まらぬからであると思う。とてもこの世は何事とても、そう思うようには行かぬものであるから自分の心で大ミオヤを一心に念じて御光明によりて心を取り替えて頂ければ悲しみも変じて喜となる。不幸も転じて幸福となる。これほど有り難い光明が常に身辺に照らしあるを知らずして、自分に自分で罪を造り、苦しみも構えて、日々に日暮らしをする人は本当に可愛そうである。どうかして大ミオヤの光を世の人々に知らせたく思うて、それのみを思うており候。 弁栄聖者お慈悲のたより(OJC55)より抜粋  
笹本戒浄上人の(聖者にお会いになる前の)兄弟子にあたる宮本契善という方のお話が幾つか遺されておりますが、大病で息を引き取り臨終行儀も済ませた数十分後に息を吹き返した時の体験談をご紹介致します。それによれば・・・「一心に念仏申していると引金の音も次第に遠くなり気分は益々沈んで次第に深処へ堕ちていくような気がした処、やがて身心に軽安を感じ体が浮き上がってきたと思うと、温涼柔軟の風が何処ともなく吹き来たり、周囲が明るくなった。見ると一群の紅雲がたなびいているその中に阿弥陀仏の尊容を雲上に拝み奉った。破顔微笑し給うのを礼拝せんとするや忽然と消えておしまいになったかと思うと当時に体に重みを感じ耳元がガヤガヤするので、フト目を開いた時がちょうど蘇生した時であった。」ということです。その後この兄弟子はたいそう念仏修行をつまれて仏眼の境涯を深めておいでになられた事を戒浄上人様がお確かめになっておられます。


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