NINJATOOLSを利用して2009年6月11日設置
善導大師(AD613~AD681)のお言葉は弁栄聖者のご遺稿や笹本戒浄上人様のご法話集によく引用されるのですが、その全容は存外なじみがありません。聖者は常々法然上人様の真精神を広く世に知らしめることが使命である旨仰せになり、そのなんたるかを問う上で今私達の手元に遺された善導大師のご遺文の出典集も作成出来ればと思います。因みに善導大師の著書として1300年以上の時を越え伝わっておりますのは以下の5部9巻。観経疏1部4巻・法事賛上下2巻・観念法門・往生礼賛・般舟賛です。
唐の善導大師様の有名なお言葉に『色を壊することなかれ。何を以ての故に。色を壊せざるが故に、仏の色身を念ずるに由るが故に、是の三昧を得。』とございます。これは念仏三昧の仕方、念仏三昧発得の方法でありまして、弁栄聖者のお示しになられた所によりますと、より端的には「如来様の慈悲の聖容を憶念し奉るからこの三昧を得られるつまり発得できる」という意味だそうでございます。そしてこれは実際の事実であると・・・。そこで起行(きぎょう)つまり行を起こすにあたっての用心、すなわち心の用い方(心得)として私共はつぎのように銘記せよと教わっております。念仏の所期は見仏してお世嗣ぎとなりたしとし、人格の完成に全力を注いでいつもミオヤの慈悲の聖容をおもい(見奉り)ミオヤを徹底的にお慕い申して南無阿弥陀仏(とお唱えせよ)。又、その手がかりとすべく弁栄聖者は三昧仏と言われる如来様のお絵像をいくつも私共に画き与え遺して下さったと承っております。N.O.
昨月のお念仏会で、ある方から「皆さんのは物静かなお念仏ですね・・・」と言うような意味の事を言われ、これは数やメンバーの高齢化のせいだけではないように思われました。高声念仏と言うのは大きな声でひたすら『なむあみだぶつ』とお唱え(称名)する素性確かなお念仏の方法で、直ぐに思い浮かぶのが喉が破れて血を吐きながらの壮絶なご修行の様が伝えられている徳本行者様のそれです。では何故私共にはしかとそのようなご指導を頂いた覚えがないのかと考えて見ました。ここからは全くの私見で誠に恐縮ですが、聖者のお説き下さった光明主義のお念仏は最終的には仏眼円かに開き得る三昧のお念仏。名体不離の聖名なれば慈悲の聖容を念いお慕い申して南無阿弥陀仏とお唱えせよと言うのですが、この憶念して忘れてはならない『慈悲の聖容』が従来のお念仏でははっきりしていなかったのではないかと思われるのです。為に相対的に称名へウエイトがかかり高声への指向性が見られたと考えられます。以上は方法としての光明主義のお念仏の特徴であり奥義であると言えると存じます。
この度の大震災の犠牲になられた多くの方々のご冥福を心よりお祈り致します。合掌
弁栄聖者が亡くなられたのは大正9年(1920年)12月4日ですので、今日はご命日にあたります。聖者の最後のメッセージが「如来はいつもましますけれども衆生は知らない・・・それを知らせに来たのが弁栄である。」であることはホームページでご紹介しておりますが、ご命日にあたってあらためて聖者のみ教えがここに集約されていることを思わずにはいられません。相模原は聖者が最晩年ご住職をつとめられた当麻山無量光寺と同じく聖者が創立なさった光明学園をよう擁する聖者ゆかりの地でございますので、聖者没後100年にあたる2020年に市内の博物館で弁栄聖者没後100年展を開催できればと考えております。
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